病は気から「か行」は「か」から

本日は日曜日なのですが、8時からSkypeの授業が1本入っています。 随分と早い様な気もしますが、生徒がいる日本は10時ですからね。

スタンバイの為、7時前に起きます。

 

ガーさんの教えに従い空きっ腹で飲む珈琲を飲む事が出来ません。 ※この歳になると正解かもしれません。

 

何処で仕入れたのか?冷蔵庫の上にある『フルグラ』を口に放り込みます。

 

適量の水を電気ポットに入れ、珈琲豆を挽きます。 いつもは計量スプーンでキッカリ2杯なのですが、今朝はちょっと少な目にしましょう。

少な目と言っても減らしたのは数粒です。

さてこの数粒に意味があるのか?味が変わるのか?

 

これは『気持ち』だけです。

 

勝手に決めているルールなのですか、珈琲を淹れるときに勝ち負けをつけています。

 

カモメ食堂を見て以来、平らにした豆の中央に人差し指で窪みを作ります。 まず、第1投はその窪みにお湯を入れます。

その後はその周りに注ぐのですがお湯が『ツツツー』とペーパーまで流れてしまうと『負け』です。

 

こんもりと豆が盛り上がり徐々にお湯が滲みペーパーまで到達すると『勝ち』です。 目下のところ勝率は7割5分と言った所でしょうか。

 

少し前、YouTubeで珈琲を美味しく淹れる方法の動画を見ました。抽出物する温度は81〜90度が正解とのこと。

では80.9度、90.1度で淹れたら不味くなってしまうのか?

ウンチクを語りながら淹れていたお方に、珈琲を飲んでもらっても『これは80.9度で淹れたのでダメですねー』とはなりません。

 

歳を取ると屁理屈が多くなる。。。 ちなみに、理屈だけでなく、「屁」も所構わず出る

 

その道では知れた名人だったら、抽出の油温による、微妙な味の差が分かるのも知れませんが、私にとっては『気のせい』です。

 

日本に帰り母親のアパートを訪ねると珈琲を淹れてくれますが、蒸らしもへったくれもありません。お湯をドボドボと入れます。 でも、これが美味しいのですよ。

 

珈琲の味ですが、珈琲そのものより目に映るもの、聞こえてくる音、匂いにより大きく左右されると思います。

 

立ち食い蕎麦は、安っぽい演歌が流れている店内で、壁のシミを見ながら食べる富士そばがベストなのです!

 

ここ一週間ぐらいSkypeの授業で上手くタイプが出来ません。 どうやっても指がこんがらがってしまい、生徒が話すスピードについて行けません。

 

手を置く位置を変えてみたり、タッチを強くしたり弱くしたり。。。 どうやってもダメなんです。 指先の単純な動作でさえこんな状況なので、プロスポーツ選手のスランプなんて、とんでも無く複雑なのでしょうね。

 

結局それにしても「気のせい」なんです。 昨日の授業から突然、早くそして正確に打てる様になりました。

 

面倒臭いなーとか気分が乗らないなーろ思っていると、肩や指先に力が入り、タイプ出来なくなってしまうのです。

 

そうそう。。。

 

同じくYouTubeでRICOHG3LEICAQ2の撮り比べを紹介していました。 カメラですから、写真を撮ると言う機能は一緒です。

でも、価格をはじめ両者は大きく異なります。

少しづつ値が下がりはじめたG3の約90,000円に比べQ2は約700,000円です。

 

でも、モノクロで撮影した写真を見て、どちらのカメラで撮ったのか?判断するのは無理です。

 

新しく高機能のカメラの方が良い写真を撮れるのか? アンリ・カルティエ・ブレッソンやキャパにG3やQ2を渡して、良い写真が撮れるのか? フィルム交換の必要がない分、たくさんシャッターも切れるし、ピントも露出もバッチリです。

 

でも、当時のプリントの粒子の荒さやちょっとピンボケだったりするところに味があるのです。

 

Q2あげるよ。

 

と言われれば二つ返事で遠慮なく頂きますが、写真撮影にしてもやはり「気のせい」だと思うのです。

さて、気持ち良く良い授業が出来たので、ご褒美と言うことで刺身定食を食べてきました。

この刺身だって、木目が綺麗なカウンターテーブルの上に乗り、目の前には真っ白な調理衣を着ている板さんがいるから美味しいのです。

全ては気のせい、気の持ち様だと思うのです。

食料が底をつき、五十肩になり、白湯を飲む今日此頃

ガーさんが、大雨で被災した実家の片付けに出かけてから10日経過しました。 これまでも、一月に一度位のペースで帰ってはいましたが、1週間程度で戻って来ていました。 田舎ではまだ雨が降り続いている様なので、暫く帰ってこないでしょう。

行く前に「野菜スープ」「パスタソース」「BUN CHA」を大量に仕込んでくれましたが、数日前に全て食べ切ってしまいました。

 

一切自炊をしない私にとって外食は「普通」なのですが、ガーさんと住むようになり家での食事が当たり前になったので、どうも外で食べるのが億劫なのです。

 

 

本日は10月31日土曜日です。 出社日ではないのですが、7時前に目が覚めます。 9時からスカイプの授業があります。

 

最近白湯を飲むのが流行っています。 ※私の中だけですが

 

「さゆ」と言う言葉の響きはお年寄り感イッパイです。 まあ、この国では私もお年寄りの部類に入るので、朝の一杯にふさわしい飲み物と言えるでしょう。

 

白い湯と書いて「さゆ」

白湯麺と書いても「さゆめん」ではなく「ぱいたんめん」ですから日本語って面白いです。

 

そう言えば「パイパン」って漢字はあるのだろうか? ちなみに私はほぼパイパンです。 ※失礼しました。

 

なんでも白湯を飲むと体の中を綺麗にしてくれるそうです。 体だけでなく、心の中も綺麗にして欲しいものです。

 

2週間ほど前から左肩が痛いのです。 腹筋ローラーかベンチプレスで痛めたのか?と思っていたのですが、どうやら様子が違うようです。

 

これは先ず固定した方が良さそうだ・・と言う結論になり、がーさんにテープと肩のサポーターを買ってもらいました。

でも、数日前もしや??と思い検索をしてみると、どうやら五十肩になったみたいです。 サイトに書かれている症状や痛みと合致する事が多いです。

 

炎症期を過ぎている様なので、ストレッチを始めました。 これがなかなか痛い。。。

 

ガーさんがいないアパートで1人「ヒーヒー」言いながら伸ばしています。

 

ここで数時間が経過。。。授業も終わりました。

 

昼ごはんは行きつけの店で麺料理を食べてきました。

 

アパートに戻る途中プリンを購入しました。 これが、思いっきり美味しいのです。

 

日本では有名パティシエが作ったような高級プリンもありますが、このプリンなんと!1個約25円です。

ガーさんから「来週戻る」と連絡がありました。

 

まあ、プリンでも食べながら帰りを待つことにしましょう。

そしてガーさんの「子」になる。

「そしてガーさんの子になる」

何だか是枝監督の映画タイトルの様です。

登場するのは、福山雅治さんやリリー・フランキーさんあたりでしょうか。

今考えると若気の至り・・・。 あっ・・・当時既に53歳でしたから、これっぽっちも若くありません。

ホーチミンに住んでいた時、19歳の女性とお付き合いしていました。 年の差はなんと「34」ですから、どう考えても「着地」はありませんでしたね。

 

彼女以外にも、本当にたくさんのベトナム人女性達とデートをしました。 果たしてデートと言って良いのか?分かりませんが、とりあえずは楽しい一時でした。

 

そして最終的に圧倒的な存在のガーさんに着地します。

 

彼女と生活を始めてあっという間に10ヶ月が経ちましたが、ピンポイントの着地だったと思います。

 

子供の時から団体行動は苦手だし、1人で過ごす事が多く、好きでした。 なので、四六時中視界の中に「誰か」がいる状況を想像出来ませんでした。

 

ガーさんとの生活にも不安があったのですが、大丈夫です。 今ではすっかり慣れました。

 

この女性は本当に面倒見が良いのです。 私にだけではありません。 周りに人全員に対してです。

 

今、住んでいるアパートには、たくさん赤ちゃんがいます。

 

どこかに出かけたかと思うと、時々、赤ちゃんを抱いて戻って来ることがあります。 お母さんが部屋を掃除している、髪を洗っている間、預かるそうです。

 

私は赤ちゃん大歓迎なのでとても嬉しいです。 抱っこしてつるつるのほっぺを、なでなでしているだけで幸せホルモンが出ます。

 

少し前の事ですが、下のフロアあたりで赤ちゃんの鳴き声がしました。 「オギャー」では無くて「ギャ〜」です。

 

咄嗟に裸足で飛び出すガーさん!

2人の娘を育てた彼女には危険な泣き声だと分かったのでしょう。

 

アパートには何人も友達がいます。

ある部屋の赤ちゃんが病気になったと聞けば一緒に病院に行ってあげ、アパートに戻ってから、赤ちゃんとお母さんの食事を用意してあげたりします。

 

「母なる大地」とか「MOTHER’S EARTH」なんて言葉がありますが、ガーさんの存在は「母」そのものです。

 

ベトナムの「喧しさ」「騒音」は私の中では既に諦めています。 午前0時近くになっても、酒を飲み大声で話しているアパート住人がいます。

私は「またか〜」と思う程度なのですが、ガーさんは真正面から文句を言いに行きます。

 

相手は酔っ払いですから、何かあったらどうしよう・・・とも考えるのですが、あなたの声の方が迷惑じゃない?と言いたくなる大声です。 鬼の形相も、もれなくついていますからね。

 

ガーさんの怒りの声のあと、辺りは「シーン」と静まります。

 

一昨日の夜、ガーさんは大量の食料品、毛布などを持って被災した田舎に帰っていきました。

持ち前のパワーでせっせと家中の掃除をしている事でしょう。

 

少々恥ずかしいのですが、ガーさんに足を絡めてオッパイの間に顔を埋めて深呼吸すると、なんとも言えない安心感に浸ることが出来るのです。

ごった煮、盛りだくさん、支離滅裂のタイムライン

出社しない日、ガーさんは私が自然に目が覚めるまで放っておいてくれるのですが、今朝は8時過ぎに起こされました。

キッチン前には大量の食料品が並んでいます。 早朝の買い物はいつものことなので、驚きませんが、今日はやけに多いです。

食料品を持って、今晩のバスで被災した田舎に帰るとの事です。 広範囲に渡り被災しているので、配給が間に合わないのか?そもそも無いのか? いずれにせよ、ガーさん一家は食べるものがありません。

 

いつもは「ガーさんが居ない間に餓死したらどうしよう・・・」「背中に保湿クリームが塗れない・・」など駄々をこねるのですが、今回ばかりは応援しなければなりません。

 

長女のティーちゃんは今日から中学校に行く予定だったのですが、可哀想に着ていく服がなく諦めました。

 

私も一緒に行って掃除など手伝おうか?と提案しましたが、今はお金が必要なので、仕事+アルバイトを続けて欲しいと言われました。

その通りです。

今、左肩を痛めているので、行ったって大して役に立ちません。

 

55年間生きていると色々な事を体験するもんです。

 

何時、インストールしたのか?記憶にないのですが、iPadに「Amazon Photos」があります。

 

どこから吸い上げたのか?

「あ〜こんな写真も撮ったっけな〜」と言う画像が多数アップされています。

 

時系列に並んだ写真は私の人生のタイムラインです。

 

それにしても、種々雑多と言うか、支離滅裂と言うか、盛りだくさんです。

 

Amazon Photosをスクロールして時代を遡ってみます。

元家族との旅先でのスナップ、事務局長をしていた空手倶楽部、手伝っていた銀座の京料理店、それに、通所介護時代・・・

 

決して褒められる生き方ではありませんが、この支離滅裂ぶりと言ったら・・・

 

タイムラインのスタートはiPhoneやインターネットを使い始めてからです。 「それ以前」は更に無茶苦茶です。

 

通所介護の施設内で撮影した画像があります。 これは施設内での運動会ですね。 利用者さんの顔にモザイクをかけるべきかもしれませんが、「みなさんお元気で!」と言う気持ちを込めてそのままアップさせて貰いましょう。

画像データを見ると、「2012年」とあります。 まだ、8年しか経っていないのですね。

遥か昔のことの様に感じます。

 

PCでこの駄文を書いている間も確実に時間が流れています。

 

VAN HALENは亡くなり、キース・ジャレット脳卒中の為に復帰することが出来ません。 ブロンディーは正気を保つために曲を書き続けているそうです。

 

本当にこの世の中何が起きるか分かりません。

 

私も将来に向けて色々な明るいプランがあったのですが、コロナウイルスの流行ですべて止まってしまいました。

 

何があろうと、起きようと、時間だけは確実に流れていきます。

 

「今は一瞬で過去になります」

 

時間の流れをリアルに感じる一瞬があります。

私はつまらないニュース・・思いながらも、気がつくと⌘Rでヤフーニュースをリロードしています。

 

Skype授業が続けて3本あると、3時間の時が過ぎます。

 

授業終了後、一息ついてリロードすると、すべてのニュースが更新されています。 授業に集中している間に時間が3時間流れているのです。 この瞬間がとても面白い。

 

さて、この文章の流れからすると、「一瞬も無駄にならないように、一生懸命・・・」となるのですが、今の私は違います。

時間に逆らうこと無く自然体で出来ることをやるだけです。

 

ここ数日落ち込んでいたガーさんですが、今、故郷に持っていく荷物の整理をしながら鼻歌を歌っています。 水浸しになった実家に行くのは辛いと思いますが、頑張っている両親や娘たちに会えるので嬉しいのでしょう。

 

ガーさんは田舎で頑張る間、私もハノイで一生懸命頑張らなくてはいけません!

あっ!

頑張るって言っちゃった・・・

岸辺のアルバムが現実になってしまう。

1977年の作品なので、55歳の私がまだ12歳の頃です。 『岸辺のアルバム』が放映されたのは。

ジャニスイアンの透き通った歌声をバックに氾濫した多摩川に家が流されて行く映像は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。

 

最近は当たり前の様に災害の映像を見ていますが、当時は本当にショッキングな出来事でした。

 

さて、現在ベトナム中部では記録的な大雨に見舞われ悲惨な状況になっています。 日本のニュースでも流れているのだろうか? 菅総理も丁度ベトナムに来ています。

 

ガーさんの故郷であるクワンビンも雨が続いていたのですが、とうとう被災してしまいました。

 

不謹慎ながらテレビで見る災害現場はいわば対岸の火事です。

ただ、今回は極近しい人に発生した災害です。

 

一昨日は、家の中に水が入ってきた状態だったのですが、今朝、ガーさんから、足を痛めたお父さんだけ家の中に留まり、お姉さんとガーさんの長女は屋根の上に避難したと聞きました。 お母さんや小さな子どもたちは避難済み。

 

そして今日、学校で受信したメッセージは、『水が屋根まで達して家を捨てて逃げた』でした。

思い出してみてもガーさんの実家がある一帯は見渡す限り真っ平らの平地が何処までも続いています。

 

この雨は明後日まで降り続く様です。

 

水が引くまでに果たしてどれくらいの日数が掛かるのか?想像も出来ません。

 

恐らくは何も持ち出すことが出来なかったでしょう。 下手をしたら今着ている服だけかもしれません。 電化製品は全滅です。家具は掃除をすれば使えるのだろか?

 

周辺の家は2、3階建てなので、上の階に持ち上げれば濡らさずに済みますが、ガーさんの家だけは古くて平屋なのです。

 

ガーさんが生まれ育った家ですから、思い出深い物が沢山あったと思いますが、全て流されてしまいました。

 

この文章を書きながら、つくづく、私は身軽な事に気が付きます。 失って悲しい物は何一つありません。 無くなると不自由になるのは、MacBook Proだけです。 究極の断捨離生活です。

 

ガーさん大丈夫かなーと学校から帰ると目を真っ赤に腫らして出てきました。

この女性は身内に限らず、周りに不幸や悲しいことがあると我が身に起こったかの様に感じる人なのです。

 

家族が全てを失ってしまった悲しみは、超身軽なおじさんには想像することも出来ません。

 

今はショック状態に陥っている様なので、詳しいことを聞くことも遠慮しています。 少しでも元気が出たら状況を把握して、力になってあげなければなりません。

 

地球規模の異常気象を考えれば、安全な場所に引っ越すべきでしょうね。 家を補修した所で毎年同じ事の繰り返しでしょう。

 

五体満足で珈琲が美味いだ、肩が痛いなどと言っていられる事自体、とても幸せなのです。

早く終わらないかな〜と言う最悪の考えをしている自分がいる。

さて、最初からお断りしておきますが、今回は抹香臭いのです。 無面倒くさい話しが苦手な方はご遠慮くださいなのです。

最近、気がつくと「早く終わらないかな〜」「早く過ぎないかな〜」と思っていることがあります。 これって、思いつく限り最悪の状態です。

 

そんな風に思う位なら、まだやらない方がマシと言うものです。

 

コロナの影響なんて、「へっちゃら、へっちゃら」と話して来ましたが、そう言う訳にはいかない様です。

 

小さいながらも銀座に事務所を構えている頃は大晦日の遅い時間までモバイルサイト用の動画を編集していました。 もう少し遡ると、大晦日に4tトラックを転がしながら、現場から現場へと高速道路を走っていました。

 

12月31日まで仕事をしていることが良いか?は別として、要するに仕事に追われている事が私のデフォルトだった訳です。

 

それがコロナを境にして大きく変わります。

 

ベトナムで一応、定職につき、休みの日もアルバイトをしています。 収入も決して安い部類には入りません。

 

ガーさんは母の様に私の事を世話してくれるし、三度々々、温かく美味しい食事を用意してくれます。

 

満足レベルをどこに設定するか?の問題はありますが、現在の生活は満ち足りているのです。

 

普段、一緒に勉強している実習生の状況は逼迫しています。 最近になり、少しずつ日本に行き始めましたが、多くの実習生はコロナの影響で数ヶ月ベトナムで足止め状態です。

高校を卒業したばかりの若い生徒のご両親は日本行きの費用を確保する為にどれだけ苦労した事でしょう。

既に結婚して、子供がいる生徒もたくさんいます。

 

先日の授業で、ある男子生徒と会話をしました。 彼は30歳を過ぎているのですが、奥さんは故郷で農業をしているそうです。

私の様な情の薄い人間には理解できない位ベトナム人の家族愛は強烈に強いです。 妻や小さな子どもと3年間も離れて暮らすのは私の想像を超える辛さだと思います。

 

彼の後ろに座っている男性にも質問してみました。 なんと彼の場合、奥さんもほぼ時を同じくして、技能実習生として日本に行くそうです。

彼は広島県、奥さんは京都です。

彼らの小さな子どもはご両親が面倒を見てくれます。

Messengerを使えば、子供の様子を見ることができますが、3年間も我が子に触れることが出来ないのです。

 

 

また、ベトナム中部は大雨、洪水で大変な状態になっています。

 

今朝、初めて聞いたのですが、クワンビンにあるガーさんの実家も「半分ぐらいまで、水が入っている」らしいです。 「半分位」と言うのは、腰?胸?位まで浸水しているということになります。 既に数日間、この状態で生活をしているらしいです。

 

実家にはガーさんのご両親、お兄さんの嫁、ガーさんの娘2人がいます。 お母さんは半身が麻痺しているし、お父さんは足が痛いそうです。 お兄さんでもいれば良いのですが、軍人さんなので滅多に帰ってきません。

 

色々聞くと可愛そうなので、断片的にしか分かりませんが、椅子の上で寝ている?とか・・・

 

ベトナム中部の広い範囲に渡り大きな被害が出て、多くの人が亡くなっています。

 

ガーさんの実家を思い出しても、家の周りはどこまでも畑が続き、裏手には川が流れています。 Facebookで被災したエリアの動画を見ましたが、どこも泥水で覆われています。 田舎に行くと、当たり前のように鶏や豚を飼っているので、衛生状態も心配です。

 

本日は日曜日なのですが、朝から、美味しい珈琲を飲みPCに向かいバカなことを書いている私は、限りなく恵まれた環境にいるのです。

 

私に出来ることは限られていますが、まずは今晩のskype授業に全力投球することにしましょう。

先生は生徒がいて初めて先生なのです。from 俺たちの旅

先日、突然亡くなってから、iTunesVAN HALENばかり聞いています。 しっとり聞かせるバラード曲はやはり、Sammy Hagarでしょうか。 でも、個人的にやっぱりボーカルはDavid Lee Rothです。

この人の場合、ボーカル譜は存在するのでしょうか・・・ サビの部分以外はほぼシャウトです。 譜面に出来ない様な気もします。

このシャウトをおかずにVAN HALENのギターを楽しむが最高です。

さて、本日は日曜日なのですが、6時前に目が覚めてしまいました。 ガーさんはいつものように4時半には起きて隣の部屋でせっせと家事をしています。

 

土日は出勤しませんが、Skypeの授業があります。 昨日の土曜日も4時間半の授業がありました。

 

本日は午後6時から3本(3時間のみです)

 

昨日、朝早く学校にいる実習生からメッセージが届きました。

 

「先生、今、会話する時間がありますか」

 

まだ、19歳の彼女は来月あたり日本に行く予定なのですが、今ひとつ日本語を聞き取ることが出来ません。 金曜日も彼女を含め6人のグループに対して一日中、会話をしました。

 

日本に行くまでに最低限の日本語レベルまで到達しなければなりません。 ちなみに、彼女は空手のその場蹴りがともて上手です。 実にスムーズに蹴り、引き足も強く早いのです。

 

日本語のレベルは彼女自身も「まずいな〜」と言う認識があるのでしょう。 でなければ、土曜日の朝早くから連絡をしてくるはずがありません。

 

残念ながら日本人のオジサンは土曜日も朝からSkypeの授業があるのです・・・ でも、何とかしてあげなくてはいけませんね。

 

時々、Skypeの授業にプレッシャーを感じる事があります。

 

“1時間”という絶対的な時間があるので、制限時間以内に授業を終わらせなくてはいけません。

 

生徒の定員は4名です。 生徒都合で欠席が生じて、3人、2人になれば授業にも余裕が出るのですが、満員御礼になり、さらに話しが長い生徒が2人でもいると、ヒヤヒヤしっぱなしです。

 

ヒヤヒヤすると、タイプミスが多くなります。 私はそこそこ早くタイプをすることができますが、指の運びに無駄があります。 特に、右手の人差し指の守備範囲が広すぎるのです。 本来中指でタイプするべき「キー」に人差し指が遠征してしまいます。

 

直そうと思い、タイピングのアプリで練習しています。 練習中はモニターに表示された正しい指でタイプが出来るのですが、実際の授業になり、生徒の会話に追われてしまうと自己流に戻ってしまうのです。

 

日本語をタイプする際、無意識で次の単語を予想しながらキーを叩いています。 ただ、Skypeの授業では予想しない単語が飛び出します。

 

例えば、「子供の頃、私の家は貧乏だったので、生活は・・・・」と言われれば、指は勝手に「苦しかった」「大変だった」を想像して指は「K」か「T」で待機します。

ところが、予想していない単語が飛び出します。 その修正にワンテンポ遅れてしまうのです。

 

ホーチミン時代の授業予定表を見ると、夕方から5時間連続で授業をしているのですが、今では考えられません。 現在は3連続が集中力の限界です。

 

昨日の18時からは「基礎クラス」がありました。 参加生徒は2名だけだったので、精神的に余裕があります。

 

また、このレベルだと生徒が話す単語も簡単だし、スピードもゆっくりです。

 

25歳の女子生徒がいましたが、

 

「日本にどれくらい住んでいますか?」

 

に対して

 

「3日」

との回答。。。

3ヶ月の間違いではないか?と思ったのですが、10月7日に来たばかりだそうです。 熊本県での彼女の仕事は電子機器組み立てです。

技能実習生の場合、入国後1ヶ月間は組合による研修があります。

 

日本についてたった3日ですよ。

 

それなのに、1日6時間研修センター勉強をした後、自腹を切って夜の8時から授業を受けています。

 

なんと立派な女性なのでしょうか。。。 私も一段ギアがあがります。

 

次の授業は初級クラスです。 参加生徒はたった1人です。

 

生徒が2人以下の場合は10分早く切り上げて良いルールになっているのですが、そんな事はしません。 たまたま訪れたマンツーマンですから、1時間目一杯会話をします。

 

たった1人の生徒ですが、Dさんと言う男性です。 30台半ばの男性ですが、岩手県でITエンジニアの仕事をしています。趣味はサッカー観戦です。

彼はずーっと私の授業を選んでくれています。 各回、色々なテーマで会話をしているので、彼の家族構成や趣味、将来の目標など私も覚えてしまいました。

 

彼の日本語はとてもたどたどしいです。 一日何をしていたのか?尋ねていみましたが、ずーっと日本語を勉強したいたそうです。

 

勿論、彼に会ったことはありませんが、なんとなく想像出来ます。

 

とても真面目ですが、基本的に不器用な男性だと思います。

 

授業の前にはきっちりと予習をして設問に対して100%の回答を用意しています。 授業ではその回答をゆっくりと読み上げてくれるのです。 残念ながらテーマ以外の質問をしてみると、答えることができません。

でも、それで良いと思います。 彼のように真面目に生きていれば必ず誰かが見ているし、必ず花が咲きます。

 

最後の授業はマンツーマンクラスです。

彼もずーっと、私の授業を選んでくれています。

彼は埼玉県の北本市に奥さん、2人の子供と暮らしています。 私も住んでいた事がある街なので、地元ネタの話しもすることが出来ます。

 

彼は地元でCADなどのオペレーター、奥さんは大宮で不動産の仕事をしています。 彼は家を買うために住宅ローンを申し込みました。

 

また、ベトナムの食材を扱う店を持ちたいらしく、物件を探しています。 現在、東大宮か北本が候補地なのですが、どこも家賃が高くて苦労しています。

 

昨晩、授業の途中で娘さんが「お父さんみかん食べてもい〜い?」と聞きに来ました。 イアフォンではっきりと聞き取ることが出来ました。

 

ベトナム人夫婦から生まれた子供が日本の田舎に住み、流暢な日本語で勉強をしているお父さんに話しかけているのです。 こうなると、彼のアパートの中の様子が目に写ります。

 

彼には、食材店の看板とチラシを作ってあげるつもりです。 ご祝儀です。

 

世の中には「先生」がたくさんいますが、「生徒」がいて初めて「先生」です。

 

千代田区近辺にはあまりよろしくない「大先生」がたくさんいますが、真面目な日本国民がいて初めて「大先生」なのです。

 

来月から、日本に向け出国する実習生が一気に増えます。

「先生」は頑張らなくてはいけませんね。