視界の中に日本語が無いのね。鈍い私は最近になって、やっと気がつく。

舟を編むと言う映画があります。 “シン・ゴジラ”やアクション、SF物の日本映画を見ると、とっても恥ずかしくて、おしりの辺りがムズムズしてくるのですが、“この映画”は良い作品でした。 石原さとみさんは、とてもステキな女性ですが、小生意気な役柄は難しいですね。 もっと、“素”で生意気な女性タレントさんたくさんいると思うのですが。。。

舟を編むですが、松田龍平さんの役作りは見事でしたし、小林薫さんや残念ながら亡くなってしまった加藤剛さんなどの名優が脇を固めています。 三浦しをんさんの小説の映画化ですが、辞書編纂と言う地味〜なテーマです。

電子辞典や、自動変換などの機能がこれだけ発達しているので、これから更に厳しい状況になると思いますが、“辞書を引く”と言う行為に心地よさを覚える人は存在し続けると思います。

 

辞書を作るって、こんなに大変なのね。。。と言う事が良く分かる映画です。

用例採集のシーンが登場しますが、私はこの映画で初めて知りました。

簡単に書くと、辞書に掲載する言葉を探す事なのですが、加藤剛さんの様な年寄りには日常生活で接点の無い場所、例えばファストフードの店に行き、若い女性の言葉に耳を傾けたり、看板や張り紙に書かれている言葉までが対象になります。

たまたま、“プロフェッショナル仕事の流儀”でも、実際の辞書編纂者の方が登場していましたが、たった一つの言葉、単語に対するこだわりは変態の域に入っています。

このレベルまで行ってしまうと、街中を歩いていても、無条件で目に入ってくる言葉でパニックになってしまうのではないか?と思います。

 

私の場合、無条件で目に入って来てパニックになってしまうのは、何だろうか? 街中で歩いている人が全て若い女で、セクシーな服なんて着ていたら、同じ様な事になるかもしれません。

その時は、鼻血の為にティッシュが必須になります。

 

この映画を見て、数日前に気がついた事があります。 2年と3ヶ月もベトナムに住んでいて、やっと気がつくとは私も相当オメデタイ人です。

 

当たり前の事なので馬鹿にされるのを承知で書くと、街中に日本語が無いのですね。

 

以前、住んでいた1区のレタントン界隈には、日本語が溢れていました。 “カラオケ”や“マッサージ”などのオジサンには魅力的な言葉が多く、流暢に日本語を話す客引きも多数います。

 

今の私の屋外生活環境には日本語がありません。

 

それで何?と聞かれてしまうと思いますが、それは、日本に住んでいて当たり前の様に、物凄い数の日本語に触れているからですね。

 

例えば、新橋のJR烏森口から外に出たとします。 正面には、私が大好きな怪しげな“ニュー新橋ビル”があり、横断歩道を渡ると宝くじ売り場、左を見れば高架線の下には飲み屋、斜め左に伸びる道の両側には、たくさんの店があります。 (2年以上前の事なので、大きく変わっているかもしれませんね)

 

駅から出た瞬間に、物凄い数の日本語が目に飛び込み、パチンコ屋や駅からアナウンスも聞こえます。

余程の地方に行かない限り、程度の差はありますが、日本人はこの様な環境の中で生活をしています。 でも、これが当たり前だと思っています。

 

今、住んでいる2区では自分の部屋から一歩外に出た途端に、“日本語”が無くなります。

英語もあまり見かけませんね。

英語だったら、目に止まり読んでしまうかもしれませんが、ベトナム語の場合は意味不明の記号と同じです。 歩いていても、バイクを走らせていても、全く目にとまる物がないのです。 ※本来であれば、2年以上住んでいて、全くベトナム語を話す事が出来ないのはダメですね。

 

これはどういう事か?と言うと、烏森口から外に出て視界の中に一切、“日本語が無い”と言う状態です。

これスッキリしていると言うか?なんと言うか。。。

 

我々大人は日本語が目に入ると、普段使っている単語は考えることなく、一瞬で頭の中に入ってきます。 見慣れない漢字や変わったフォントを使っていると目で追います。

これらが一切無いという事は、“それ以外”の事に思考がフォーカスされます。

大きな文字で書かれた看板がなくなることにより、壁の色に気がつくかもしれませんし、空を見上げるかもしれません。

 

私の今の状態が“それ”です。

 

目に入る物全てに焦点が会うので、何処に行って何を見ても新鮮なのです。 時々親友と一緒にローカルな飲み屋街に行くのですが、食事もせずに、ずーっとキョロキョロしています。

 

目から入ってくる情報は膨大ですからね。 ボケ防止にも良いかもしれません。

 

ブログネタに困りませんか?聞かれる事があるのですが、街中を10分も歩けば、驚くような事が幾つも見つかるのです。 ベトナムに限らす、海外に行くことがあれば、視界の中に“日本語が無い!”と言う事に意識すると面白いですね。

今までとは、違った物の見方が出来ます。