なんとなく「この先」が見えてきたのかもしれません。in ホーチミン

昔から、「安定」してしまうことに対して、恐怖感がありました。 転職をしても一通り仕事を覚えて、日常が何となく流れ始め「先」が見え始めると、不安になってしまうのです。

その仕事を5年、10年続ければ、多少給与もあがり、役職にもつくかもしれません。 ただ良くも悪くも、「あっ!」と言うような、大どんでん返しが待っている確率は低いです。

大学時代、公務員や少しでも安定した就職先!を目指していた友人達にこの話をすると、信じれない!と言われました。 当時は、私こそ彼らの考えに「信じれない!」と思っていました。 なので、独立して、モバイル公式サイトを立ち上げたり、全盛期の花畑牧場の資材を担当させて貰った時などは、死ぬほど大変でしたが、1週間後がどうなっているのか?分からずドキドキと充実した日々を送っていました。

「三つ子の魂百まで」ではありませんが、53歳にもなっても基本的には変わらないのです。

このまま日本に住み続けていても、私の性格ではドキドキした生活を送る事が難しいと思ったので、離婚を機に片道切符でベトナムに来ました。 こちらに来て、2年2ヶ月が経ちますが、理想通り?ウロウロと将来が見えない生活を送っています。

・・・とは言っても53歳です。。。 スキンヘッドも相まって、既に「おじいさん」の領域に突入しています。 何時までも浮草の様に行きていく事は出来ません。

 

時々、ブログに登場する36歳の女性と最近、仲が良いのです。 LINEで、少し恥ずかしくなる様な熱いメッセージも貰います。 私は一歩引いて、冷静なメッセージにとどめています。下手に「好き。。」など書いてしまうと、取り返しのつかない事になります。 「阿部定事件」が頻発するこの国で安易な求愛は要注意なのです。

今度ばかりは、するッ!と逃げられる様な事は無いと思います。 ただ、お互いまだ、実際に会ったことは無いのです。

 

来年の2月(旧正月ベトナムに帰ってくれば。。。と誘ってはいるのですが、テト期間中のチケットは高いのです。 ※失礼しました。彼女は宮崎県に単身住んでいます。

これまでLINEで色々な会話をしてきました。 彼女は元、学校の先生だそうです。彼女のお父さんも先生だったとか。。。 ベトナム人の友達に教えて貰ったのですが、この国で教諭の給与は信じれないくらい安いのです。 その後、ブティックで働いたりした様です。 そして3年前にご主人を事故でなくし、現在は13歳と5歳の娘をベトナムに残し、宮崎県で農業の仕事をしています。

 

仮に、旧正月に彼女の田舎で会ったとして、彼女が私のスキンヘッドに驚くことなく、お互いに「まあ、いっか〜」

そうすると、どうなるのだろうか?

彼女は、私の事を好きか?どうかは別として、ベトナムに帰って子供と暮らしたいし、稼ぎ頭もほしいので、私と一緒になる選択肢を選ぶでしょう。 言葉は適当で無いかもしれませんが、日本人である私を利用する事が出来ます。 私も「真面目」に働けば、彼女一家を養う事我出来ます。

 

はどうだろう?

「再婚」と言う事になります。 いきなり、二人の女の子のお父さんになります。 年頃の女の子は、スキンヘッドの外国人のお父さんを受け入れてくれるだろうか? “ちぇっ!”てベトナム版、積木くずしにならないかな?

 

彼女は将来、地元のベトナム人に日本語を教えてあげたいそうです。 私はお金の無いベトナム人にボランティアで日本語を教える予定だったので、二人で日本語学校。。。いや、“学校”と言うより、“私塾”に近いですね。を始めるのは良いかもしれません。 少し月謝も頂きましょう。 学校の先生であれば、本格的なおじいさんになっても、仕事を続け収入を得ることができます。

 

まだ、あったことも無い女性なのに、果てしなく妄想は広がるのであった。。。

 

一日に数時間、日本語の授業をする。。。 Miles Davisを聞きながら、美味しい珈琲を淹れる。。。 空いた時間は家族で、海辺を散歩する。。。 休みの日には、浜辺のレストランで新鮮な海の幸をいただく。。。 1年に2回くらいは、家族でベトナム国内旅行に行きたいですね。。。

 

何処かで聞いたような話し?と思っていたのですが、人生の楽園ですね。 西田敏行さん、菊池桃子さんのナーレションが聞こえてきそうな生活です。

 

・・・と言いつつも、今、ブログを書いているカフェで働いている可愛い女性に“英語話せる?”って聞いてしまいそうなのです。 まずい、まずい。。。

TIN TIN切られてしまいます。