ハノイで迎える54歳の誕生日。肌寒いアパートで少しだけ振り返ってみる

さて、54回目の誕生日です。 この世に生まれて54年経過した事になります。 まずは、大病もせず、生き延びる身体に産んでくれた両親に感謝です。 ※母親からもメッセージが届きました。

 

日付が「今日」になったあたりから、「おめでとう」のメッセージが大量に届き始めます。

私は空手に関するFacebookページを持っているので、世界中に友達(良く知らない)がいます。 中には、頭に白い布を巻いている石油産出国系か?読めない言語のメッセージもたくさんあります。

形だけとは言え、わざわざ、メッセージを頂けるのはとても嬉しいですね。

 

改めて振り返ってみると、ベトナムに来てから(それも、IT会社を辞めて、フリーになってから)一気に人生が動き始めました。

会社を辞めたのが、昨年の5月末でしたから、まだ、10ヶ月しか経っていません。 それまでの人生が薄かったのか?10ヶ月が濃すぎるのか?分かりません。 ただ、日本に住み続けたら・・・と思うと、少し怖いですね。

 

大学を卒業して、真面目に働いている人は別ですよ。 日本で仕事や家族にも恵まれている友達もいます。 私の場合は大学を中退してから路用に迷いっぱなしでしたから、そのまま住み続けても日陰を歩き続けたと思います。

 

最近、自分は「ガリバー」として、ベトナムで生きている事に気が付きました。 ベトナム人より多少、身体は大きいですが、そういう事ではなく「違う国からやってきた変な人」です。

見た目が人間離れしている事だって良い方向に動いています。 アパート近くの飯屋に行ったって、2回目で既に常連さんで、オバちゃんはニコニコと対応してくれます。 私にだけ、お茶を出してくれるのです。

 

インターネットで日本語を教えたり、ベトナム人送りだし期間で働いたりしていますが、別に教師の資格を持っている訳ではありません。 日本人として当たり前の日本語を話しているだけです。

 

ただ、全てにおいて共通している事があります。 「日本人としての立ち居振る舞い」です。

 

偉ぶってはいけません。 人様の国でお世話になっている「身」です。

 

学校で勉強している実習生だって、彼らが支払ってくれたお金から私の給料が出ています。 ローカルレストランのオバちゃんが作ってくれる美味しい料理にも感謝!感謝!です。

 

ブログを書き始めた事によって、立派な日本人の方々とも友達になる事ができました。

 

この濃密な10ヶ月は続くのでしょうか?失速するのでしょうか? ここ最近は来るものは拒まず、全て流れに身を任せる様にしています。

 

これからどんな人生になるのか?全く分かりません。 楽しいではないですか!

 

今日はガーさんから貰ったシャツを来て、HIENさんと4P'sに行ってきます。

 

彼は昨日、突然学校を辞めてしまいました。 それではイケナイと言う事を話して、これからどうするか?を聞いてみましょう。