NO MUSIC NO LIFE in ホーチミン part2

以前も書きましたが、音楽を聞くのが大好きです。履歴書風に書くと、“音楽鑑賞”と言うやつです。

休みの日は、な~んと無く、好きな選曲で一日中音楽を流しっぱなし。 時々、さて!気合い入れて聞くぞ!って時は貯金をはたいて買ったヘッドフォンを使います。

一般の人は、どの様に音楽を楽しんでいるか分かりませんが、バンド経験のある人は、ドラム、ギター、ベースなどの楽器毎に聞き分けている人が多いのではないでしょうか。

 

私の場合はリードギターなので、音程通り正確にソロを口ずさむ事が出来るし、ベースラインもドラムのオカズも覚えています。

 

高校の入学祝いで買って貰った、エレキギター(この“エレキギター”って呼び方、物凄く古臭い感じがする)はグレコのLes Paul、レッドサンバーストにハンバッキングが3つ付いた。。。と書けば、分かる人は!!と来ますね。

そう、KISSのエース・フレーリーモデルです。

このギター、購入時にはピックガードがついておらずケースの中に取り付け用のネジと一緒に入っており、絶対に失敗したくなかったので、父親に付けてもらったのを覚えています。

 

結局、父親は失敗する。。。

 

確か、中学3年生の時に、KISSの“I was made for lovin’ you”が大ヒットして、錦糸町の駅ビル、テルミナの本屋で同アルバムのバンド譜を買ってきたのは良いのですが、当時はアコースティックギターしか持っていません。

 

ドラムもベースもおらず、私と比嘉くんのアコースティックギターが合計2本。。。

それでも、当時は若かった。。。

アコースティックギター2本でKISSの真似事をしていました。 私はエース役なので、I was made for lovin’ youの曲の殆どを“デケデケデケデケデケデケ”と6弦をひたすら擦っていました。 ※演奏した事のある人しか分からないネタ。

 

その後、ベースの高木くん(後に外交官)、ドラムの山本くん(後に医者)が加わりKISS同様、4人編成になりました。 ちなみに、比嘉くんは、システムエンジニア。 さらに、ちなみに私はホーチミンでプータロー。海外でプータローって言うのは滅多にいない。女子マラソン有森裕子さんではないが、(初めて自分で自分をほめたいと思います) そんなわけない。。。。

 

当時は寝ても覚めてもギター。ギター。勉強もしないでギター弾いてばかりいました。 ただ、バンドの仲間が集まれるのは、せいぜい月に数回です。

 

ギター少年としては全然物足りません。

 

どうやって、熱く燃える少年のバンド魂を発散させたか!

 

口で自分のパート、楽器を演奏するのです。 先程書いたように、バンド少年は音階を性格に口ずさむ事が出来ます。

 

休み時間、学校のベランダに集まり口バンド演奏をするのです。

バカにしてはいけません。 演っている本人達は至って真面目です。

スタートを合わせられるように、ドラムのスティックまで入ります。(これも口ね) 当時のレパートリーはKISSの名盤ALIVE IIです。 KISSのライブはステージ上でどデカイ火柱が立つのですが、その音まで、口で再現します。 “ボーっ”ってね。 今、考えると馬鹿馬鹿しいですが、良い思い出です。

53歳になっても、音楽好きは変わらず。。。

 

今は金曜日の午後10時30分。

 

行きつけのIrish PubでKISSのLIVE IIを聴きながら思い出話を書いています。 目の前のミニステージでは、アコースティックギターで外国人のお兄さんが歌っています。

歌は上手かもしれないが、2弦のチューニングが少し狂ってる。

 

楽譜なんて高くてなかなか買えなかった我々世代は、耳コピーが出来るので、煩いのである。