一人、ホーチミンで友人の命日と終戦記念日を迎える。そして久しぶりの味噌ラーメン

本日、8月15日は終戦記念日です。

私は昭和40年(1965年)生まれなので、若い頃、“戦後生まれ”は、遠い存在と思っていたのですが、53歳になった、今、考えると、たった20年しか経っていないのですね。 そ

ういえば、小野田さんや横井さんが帰ってきた時は物心ついていたし、上野あたりには、時々傷痍軍人がいました。

これがベトナム戦争となると、一気に“最近”の話しになります。 終戦は1975年なので、私は既に10歳でした。

ベトナム戦争を報じるニュースだって覚えているし、今、ホーチミン街中で会うお爺ちゃんお婆ちゃんは、ナパーム弾に怯え戦火をくぐり抜けて来た人達です。 世界に目を向ければ、現在進行系で戦争をしている国だってあります。

 

世界レベルで平和が訪れる日は来るのでしょうかね?

 

私にとって、8月14日も、世話になった方の亡くなった忘れる事の出来ない日です。 亡くなってから、何年経つだろうか? 6年?7年?もっと経つかな?

 

彼(以降Aさん)と会ったのは、私が商業写真の世界を諦めて、初めて“勤め人”になった時です。

 

良い歳をして、暑い日は短パンにビーチサンダル姿でオフィスまで通っていた私が、突然、革靴にスーツを着ることになりました。 まあ、革靴の歩きにくいの、スーツが堅苦しいのなんのって・・・

面接をして、入社したプリテック東洋(東洋写真製版)は製版業と言う、印刷工程の一部を専門に行う会社でした。 広島に本社があり、私は、江戸川橋にある東京支店勤務でした。

 

秋田県出身のAさんは、色白で毛深く、頭は薄い太った絵に描いたような、冴えないオジサンでした。 今まで、商業写真と言う華やかな世界にいた私は、“うわ~”これが疲れ切ったサラリーマンの姿か〜。。私も今日から、サラリーマンの仲間か〜。。と無理やり納得した記憶があります。

 

私は退社予定の営業マン“Kさん”にくっついて、仕事を覚えます。 Kさんの退社と同時に、私が全てお客さんを引き継がなくてはいけません。

 

まあ〜、このkさんが仕事を全然しないんです。 会社から、社用車を用意して貰っているのですが、一日中、木陰に停めて昼寝をしているのです。

私も、初めてのサラリーマン生活です。 最初は、“楽だな〜”と思っていたのですが、Aさんが頑張っている姿を見ているうちに“よ〜し、やってやろうじゃないの!”に変わります。 Kさんの退社後、全開で走り回って営業をして、引き継いだその月に営業売上1番!になりました。

 

楽しいサラリーマン生活でしたが、そのうち、給料が遅延する様になり、最終的に倒産してしまいました。 そもそも、製版と言う仕事は、時代から取り残された業態です。 必然的な結果です。

 

Aさんはいち早く、そして私も倒産前に脱出をしました。 彼は、元、上司が立ち上げた“色校正”と言う業態の会社に唯一の営業マンで入社しました。

 

新しい会社なので、ゼロからの新規開拓です。 社用車なんてありません。

お願いして、やっとの事で買った貰った自転車が唯一の移動手段です。

別の会社に就職した私は時々、Aさんを訪ねたのですが、ズングリムックリの見た目通り、営業スタイルも猪突猛進です。 真夏なんて、一日中、自転車に乗り飛び込み営業を続けるので、スーツまで汗まみれです。 夕方くらいになると、汗が乾き始めて、塩が浮き、スーツが白くなってしまうのです。 松田優作?って言ってしまいそうです。(ちょっと大袈裟か・・・)

 

そのうち、誘われて、Aさんの会社に入社します。 マルチメディア?の様な一番、中途半端な新設部署だったので、売上など全然立たない中、Aさんにはかばって貰いました。

プロフィールにも書いていますが、一つの事を続ける事が出来ない私は、デザイン系の会社に転職してしまいます。

 

色校正業に限界を感じたAさんも、“独立”を決意しました。

 

八丁堀にマンションを購入して、不釣り合いな大きなテーブルや掃除機、デッカイテレビ、オーディオなど、要らないんじゃないの〜と言う物を大量に購入しました。

そう。。。人情に厚く、とても良い人間なのですが、私や寅さん同様、頭が良くないのですね。 私も名刺をデザインしてあげたり、応援しましたよ。

 

ある日、Aさんからメッセージが届きます。

 

“実は入院している”

“検査をしている”

メッセージが届いたのは、ここまでです。

数日後、共通の友達からAさんが亡くなったと連絡がありました。

 

仕事が終わり、家に帰る途中、電車の中で気分が悪くなり、その日は家に辿り着いたらしいのですが、たまたま週末だったので、土日を家で過ごし、月曜日に病院に行ったらしいのです。 そのまま、入院〜数日で亡くなってしまいました。 “週末だから”なんて言わずに、すぐに病院に行っていたら・・と思うと何とも残念です。

 

今、私は一人ホーチミンで暮らしていますが、そりゃ〜、ブログに書けないよう大変な事だってあります。 ただ、そんな時に志半ばで去ってしまったAさんの事を思い出すと、“なんだよ〜〜、これしきの事!”と、小松の親分の様に復活する事が出来ます。

 

一昨日の夜、ベトナム人の友人二人と夕飯を食べました。 一人は元同僚なのですが、日本語が堪能な彼は日本からバイクのパーツを輸入して、ベトナム国内で販売しています。 もう一人は現在進行系で、私と一緒に何か立ち上げよう!と話しています。 彼らは自分らしく生きるために、雇われるのでは無く、自分で立ち上がりました。

 

ベトナムの若者は逞しいですよ。 日本がダメと言う訳では無いのですが、正直、最近社会は勿論、自然環境まで八方塞がりの様な状況になってきた様な気がします。

 

茨の道だとは思うのですが、あえて、自分で何かを始めると言う選択肢を考えても良い時代だと思うのです。

 

今回のブログの画像は田所商店の信州味噌ラーメンでした。

Aさんと、全然関係無いじゃん!

昨日、ちょっとだけ良いことがあったので、今日は、清水の舞台から飛び降りたつもりで、午後に1区まで出掛けて食べてきました。 なんと言っても、普段の食事の4倍の値段です。

一月に一度位しか、口にすることが出来ないのです。

 

書きたい事はイッパイあったのですが、なんだか、無茶苦茶な文章になってしまいましたね。