大好きな国に恩返しをする。ベトナムの若者達の人生に関わる。

ホーチミンSkypeを使い日本語を教えるアルバイトをしていた。 生徒の多くは日本で働きながら、自腹を切り日本語を勉強しよう!と言うとても真面目な若者です。

トータルで何人ぐらいの生徒に教えていたのだろうか? 多い月には土日も関係なく110本以上授業をしていた。

マンツーマンクラスもあったが、基本は4人ひとクラスなので、相当数の生徒がいたはずだ。 授業中相手の顔が見えないと言うのは、とても大変で、1時間の授業が終わるたびに、あたまがクラクラしていた。

休憩無しの4連続で授業をすると、終了後は放心状態になり、PCに向かったまま暫くボーッとしていた。

その後、ハノイに移り、アルバイトを辞めることになるのだが、当時の生徒数人とは、実際に会って食事をする仲だ。

今の仕事だって、生徒から声を掛けて貰った。 友人の結婚式に出席するために、ハノイからホーチミンに来た彼女を食事に誘ったのだ。 食事の際、一緒に働きませんか?と誘って貰った。

 

学校見学に行った際、職員室で突然『先生!』と声を掛けられた。

まだ、務めると決めた訳ではないのに、誰?と聞くと元私の教え子でった。 (この教え子と言う表現は好きではないのだが、仕方がない。)

 

わたしが教えていた頃、まだ彼は日本で働いていたのだが帰国後、この学校に教師として就職が決まったのでした。

それも、その日は彼の初日。

これは、偶然ではない。

 

計算出来たとしても天文学的な低確率だ。 彼との出会いによって私は、今の学校で働く事を決めた。

私なりに特別扱いをして食事に行ったりもしたが、残念ながら退社してしまった。 教師と言う仕事は彼に向いていなかったのかもしれない。

 

もう一人ミーさんさんと言う男性がいる。 彼も静岡県でプラスティック成型の仕事をしながら、私の授業を受けていた、 帰国後はわたしと同業、ハノイにある送り出し機関で先生をしている。

 

彼とは、少し前に焼肉を食べに行った。 実際に会うのは、初めてなのだがとても明るくて可愛がられるキャラクターだ。

 

その彼には先日アルバイトを紹介した。

 

ホーチミンで世話になった日本人から、日本語講師がいないか?と連絡を貰っていた。

日本でも5本の指に入るゼネコンのハノイ支社出、ベトナム人に日本語を教える。

ミーさんの日本語レベルがもう少し高いと最高なのだが、日本にいた頃、仕事が終わり10時〜11時から日本語を学ぼうと言う努力家だ。

1年間と言う長丁場だが、彼なら、頑張ってくれると信じて友人に紹介した。 アルバイト代もさることながら、機会があればもう一度日本に行きたいと話す彼にとって、日系大手ゼネコンに先生という形で関わりが持てることは、素晴らしいことだ。

努力すれば必ずと見てくれる人がいる。

1年間100%のチカラを出せば、必ず何かある。

 

そして、今日はロアンさんと食事をしてきた。 彼女は江戸川区でプラスティック成型の仕事をしていた。

彼女は予習復習をキッチリする生徒で、とても印象深かった。 『つ』の半音が見事に『ちゅ』になってしまうので、可愛くてたまらなかった。

※私が注文した謎のワンプレートとなんちゃってボロネーゼ。

当時から帰国後、ご飯を食べる約束をしており、やっと本日実現した。 それに、この彼女は日本語の先生になりたい。 だったら、是非ウチの学校に来てもらいたい。 若いベトナム人の役に立てればこんな嬉しいことはない。

 

まあ、こうやって色々な生徒と関わりを持ってきた訳だが、何と言っても一番はガーさんだ。 元、教え子が私の妻になる。 彼女の2人の娘は私の子供になる。

 

教え子に手を出した。

と言われてしまうとも知れないが、私は、これからの人生を全てを彼女と2人の娘、そして彼女のご両親に捧げるつもりだ。

こうして、教え子と関わりが持てるのは、死ぬ気で授業をしていたからだと思う。 いい加減な授業をしていたら、生徒と信頼関係は築けない。 アルバイトを辞めるときは、正社員として働かないか?と誘われた。

 

送り出した生徒が3年後には帰国する。 その時、わたしは彼らに何をしてあげられるのだろうか。

こう考えると楽しみが尽きないのです。